大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和52年(ワ)6536号 判決

原告

菅原昭子

菅原三恵子

菅原一浩

右原告ら訴訟代理人弁護士

岸本亮二郎

右原告ら訴訟復代理人弁護士

山脇衛

被告

株式会社灘萬

右代表者代表取締役

楠本春江

灘萬商事株式会社

右代表者代表取締役

楠本春江

右被告ら訴訟代理人弁護士

山村清

右当事者間の頭書事件につき当裁判所は次のとおり判決する。

主文

一  被告株式会社灘萬は原告らに対し、各金一六六万六六六六円を支払え。

二  原告らの被告株式会社灘萬に対するその余の請求を棄却する。

三  原告らの被告灘萬商事株式会社に対する請求を棄却する。

四  訴訟費用は、原告らと被告株式会社灘萬との間においては、被告株式会社灘萬に生じた費用の五分の四を原告らの負担とし、その余は各自の負担とし、原告と被告灘萬商事株式会社との間においては、全部原告らの負担とする。

五  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一申立

一  原告ら

1  原告らに対し、被告株式会社灘萬は各金七九八万八三三二円を、同灘萬商事株式会社は各金二七万八七〇〇円をそれぞれ支払え。

2  原告らは、被告灘萬商事株式会社の株式三〇〇株(券面額五〇〇円)について各持分三分の一の共有持分権を有する株主であることを確認する。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  第1項につき仮執行宣言。

二  被告ら

1  原告らの請求はいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二主張

(請求の原因)

一  訴外菅原庸介(以下庸介という。)は、昭和三一年八月被告株式会社灘萬(以下被告灘萬という。)に、昭和三八年一一月七日被告灘萬商事株式会社(以下、被告灘萬商事という。)にそれぞれ入社し、昭和五一年三月四日死亡により退職するまで勤務した。庸介の被告両会社における最終役職は、いずれも取締役であったが、実際は経理担当の管理職立場の従業員であった。

二1  被告灘萬には退職金規定があり、庸介は右規定によって算出される退職金債権を取得した。

庸介の退職(死亡)時の本給は、月額金六〇万円であり、勤続年数は一九年六か月余であった。

(一) 被告灘萬の退職金規定は別紙一記載のとおりであるところ、右規定によって庸介の退職金を算出すると金一八九六万五〇〇〇円である。

(60万円×30.5(勤続年数19年の基準支給率))+(8万5000円(勤続年数別加算)×19年)=1896万5000円

(二) 仮に右退職金規定の存在が認められないとしても、別紙二記載の被告灘萬商事の退職金規定と同一内容の退職金規定が存在した。右規定によって庸介の退職金を算出すると金一六三八万円である。

60万円×19.5年(勤続年数)×1.4(乗率)=1638万円

2  仮に、被告灘萬の退職金規定の存在が認められないとしても、被告灘萬と被告灘萬商事は同一の経営者が経営する同種の事業であり、被告灘萬商事は被告灘萬の経営拡張のために設立された会社で、実質上被告灘萬の一営業部門としての地位にあり、両社間においては従業員の交流さえ行われているのであるから、被告灘萬の従業員に対して、被告灘萬商事の退職金規定の効力が及ぶものというべきである。

被告灘萬商事の退職金規定は別紙二記載のとおりであるところ、右規定によって庸介の退職金を算出すると金一六三八万円である(ただし、計算式は1(二)記載のとおり)。

3  仮に、前項記載の主張が認められないとしても、被告灘萬には庸介の退職後定められた退職金規定が存在するところ、庸介に対しても右規定は遡及して適用されるべきである。

右退職金規定は別紙三記載のとおりであるところ、右規定によって庸介の退職金を算出すると金一二二四万円である。

60万円×1/25(日給額)×510(乗率)=1224万円

4  仮に、前項記載の主張が認められないとしても、被告灘萬には退職金支給の慣行が存在する。すなわち、被告灘萬は過去に退職した者にはすべて退職金を支払っていた。とりわけ、料亭灘萬を昭和四九年処分した際、その退職した者には勿論、退職しなかった者にも形式的に退職したこととし退職金が支払われ、また松井義実が退職したときにも退職金が支払われた。また、現在退職金制度は、多くの企業で一般に行われている社会的慣行であることからすると、被告灘萬においても、退職金を支給するとの慣行が確立していたものということができる。

そして、被告灘萬は、過去の退職金支給の実体、支給基準を体系化するものとして、別紙三記載の退職金規定を定めたのであるから、これをもって慣行上の退職金の支給基準というべきである。

右支給基準によって庸介の退職金を算出すると、金一二二四万円である(ただし計算式は3記載のとおり)。

仮に、右退職金規定による支給基準が認められないとしても、前記のごとく昭和四九年に支払った退職金の支給基準をもって慣行上の退職金の支給基準というべきである。

右支給基準によって庸介の退職金を算出すると、金七六〇万五〇〇〇円である。

60万円×19.5(勤務年数)×0.65(乗率)=760万5000円

三  被告灘萬商事には別紙二記載のとおり退職金規定が存在するところ、庸介の退職時の本給は金五万二五〇〇円であり、勤続年数は一二年三か月であるので、右規定によると、庸介の退職金は金八三万六一〇〇円である。

5万2500円×12.25(勤続年数)×1.3(乗率)=83万6062円(ただし、100円未満切り上げ)

四1  被告灘萬は、日本生命保険相互会社(以下、日本生命という。)との間に、保険金額金五〇〇万円、菅原庸介を被保険者、被告灘萬を受取人とする団体定期保険契約を締結した。

2  庸介は前記のとおり死亡し、被告灘萬は右保険金五〇〇万円を日本生命から受領した。

3  被告灘萬は原告らに対し、右保険金五〇〇万円を支払う旨約した。

五  庸介は、昭和三八年一一月、被告灘萬商事(商号変更前の商号大阪物産株式会社)の株式三〇〇株(券面額五〇〇円)の払込みをし、右株主たる地位を取得した。

六  庸介は、昭和五一年三月四日死亡し、庸介の妻である原告菅原昭子、子である原告菅原三恵子、同菅原一浩は相続によって亡庸介の一切の権利義務を承継取得し、原告らは前記退職金債権及び株式につきそれぞれ三分の一の権利を取得した。

七  よって、原告らは、被告灘萬に対し、退職金各金六三二万一六六六円(予備的に以下、順次各金五四六万円、各金四〇八万円、各金二五三万五〇〇〇円)、生命保険金各金一六六万六六六六円の支払い、並びに被告灘萬商事に対し、退職金各金二七万八七〇〇円の支払及び原告らが被告灘萬商事の株式三〇〇株について各三分の一の共有持分権を有する株主であることの確認をそれぞれ求める。

(請求原因に対する認否)

一  請求原因一のうち、庸介が昭和五一年三月四日死亡したこと、同人が昭和五一年三月四日当時、経理担当の取締役で管理職立場にあったことは認め、その余は争う。

庸介は、被告灘萬に昭和四五年六月二八日、取締役に就任して入社し、昭和四八年一二月常務取締役に就任したものであり、被告灘萬商事には昭和三八年一一月七日、同社設立と同時に代表取締役として入社し、その後取締役に就任していたものであり、被告両会社において従業員として勤務したことはない。

二1(一) 同二1冒頭の事実は争う。庸介に対する最終支払月額は、金三〇万円であり、給与(賃金)ではなく役員報酬である。

(二) 同二1(一)、(二)は争う。

2 同二2は争う。被告両会社はそれぞれ法律上も事実上も別会社であって同一企業体ではない。

3 同二3のうち、被告灘萬が昭和五三年六月、退職金規定を制定したことは認め、その余は争う。被告灘萬が同月に至り、右退職金規定及びこれと併せて就業規則、賃金規定を制定したのは、一つには本件訴訟のような無用の紛争を未然に防止するため、従業員の範囲、支給基準の明確化を図ったものである。

4 同二4は争う。昭和四九年の料亭灘萬処分の際は、閉店という特異事情の特例措置としての退職金支払であって、本件のごとき死亡退職を想定したものではなく、また、松井義実に対する退職金は、同人が昭和二四年頃、一般従業員として入社勤務し、昭和四七年一二月取締役在任中に死亡退職したという個別事情を考慮して、株主総会の決議を経て支給されたことがあるだけで、支給慣行もなく、支給条件も定められておらず、何れにしても一般従業員としての死亡退職金の支給基準とは無縁のものである。また、被告灘萬が昭和五三年六月に退職金規定を制定した趣旨は前記のとおりであって、原告ら主張の慣行が存在したからではない。

三  同三のうち、被告灘萬商事に別紙二記載のような退職金規定が存在することは認め、その余は争う。右規定は従業員に適用されても、いわゆる使用従属関係のない庸介に適用されるに由ないものである。

四1  同四1、2は認める。

2  同四3は否認する。

五  同五は争う。もっとも、庸介は、被告灘萬商事の前身(商号変更前)である大阪物産株式会社当時に所謂「名義株式」として株主名簿に記載されたことはあるが、その後整理削除されて現在に至っている。

六  同六のうち、原告らが相続したことは認め、その余は争う。

七  同七は争う。

(仮定抗弁)

一  被告灘萬は、昭和五〇年四月期決算申告において、重加算税として金九三四万九八〇〇円を賦課徴収されたが、庸介は、右申告をなしたものであるから、右のように重加算税を課されたことは庸介の職務怠慢により惹起された損害である。被告灘萬は、庸介に対し右損害賠償債権金九三四万九八〇〇円を取得したところ、庸介が死亡したので、原告らは庸介の右債務を三分の一宛相続した。

二  被告灘萬は、原告らに対し、昭和五三年二月一〇日の本件口頭弁論期日において、右損害賠償債権をもって、原告らの右退職金債権又は保険金債権とその対当額において相殺する旨の意思表示をした。

(仮定抗弁に対する認否)

一 仮定抗弁は争う。

二 退職金債務は、損害賠償債権をもって相殺することは許されず、右主張はその点に関し主張自体失当である。

第三証拠(略)

理由

第一  原告らの被告らに対する退職金請求について

一  請求原因一のうち庸介が昭和五一年三月四日死亡したこと、同人が右同日当時、被告両会社の経理担当の取締役で管理職立場にあったことは当事者間に争いがない。

ところで、一般に、労働者は、個別的な労働契約において退職金の支払が特に約されている場合、労働協約又は就業規則において退職金の支給要件が明確に定められており、労働組合法一六条又は労働基準法九三条を媒介として労働契約の内容となっている場合、或いは当該企業において退職金の支払について、明確な支給要件(退職金の算定基準を含む。)に従った慣行が存する場合に、使用者に対し、退職金債権を取得すると解するのが相当である。

原告らは、庸介は被告両会社の従業員であって、死亡により退職したのであるから、被告灘萬に対しては退職金規定又は退職金支払に関する慣行に基づいて、また、被告灘萬商事に対しては退職金規定に基づいてそれぞれ退職金債権を取得した旨主張する。

そこで、庸介が一般的な意義において、被告両会社の従業員としての地位を有していたかどうかについてはさておき、まず、原告らの主張する退職金規定又は慣行の存否及び効力について判断し、しかる後に、庸介が現に効力を有する退職金規定等において、受給資格者と定められた者に該当するかどうかについて判断することとする。

二  被告灘萬に対する退職金請求について

1  請求原因二1(一)について

被告灘萬において、別紙一記載の退職金規定が存在することを立証すべき証拠として、原告菅原昭子本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一〇号証が存在し、また、原告菅原昭子は右主張に副う供述をするが、甲第一〇号証の記載自体「退職金支給規定(原案)」となっていること、同号証は庸介の遺品の中から見付け出されたものであって、被告灘萬には同内容の文書又は成案となった文書が存在しないこと、同号証の作成時期が明らかでないこと、被告灘萬において、同号証の支給基準に従って退職金が支給されたことがないこと(以上、原告菅原昭子本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合して認める。)、以上の事実に元被告なだ万食品株式会社代表者楠本修(以下、元被告食品代表者という。)本人尋問の結果を併せ考えると、甲第一〇号証は、かつて被告灘萬において、退職金規定の作成を検討し、その原案が作成されたことがあったことを窺わせはするものの、未だ同号証の記載と同内容の退職金規定が制定されたものとの心証を得るに至らせるものではなく、また、原告菅原昭子本人尋問の結果は措信し難いものといわなければならない。

他に原告らの右主張を認めるに足る証拠はない。

2  請求原因二1(二)について

被告灘萬商事に別紙二記載の退職金規定が存在することは、(証拠略)により認めることができるところ、これと同一内容の退職金規定が被告灘萬に存在することを認めるに足る証拠はない。

3  請求原因二2について

被告灘萬と被告灘萬商事とは、それぞれ独立の法人格を有する会社であることは明らかであるところ、被告両会社の関係が原告ら主張のようなものであったとしても(ただし、被告灘萬商事が実質上被告灘萬の一営業部門としての地位にあることを認めるに足る証拠はない。)、それをもって、被告灘萬商事が同被告会社に所属する従業員に対する関係において制定した退職金規定の効力が、当然に被告灘萬の従業員に対してまで及ぶものと即断することはできない。

4  請求原因二3について

(証拠略)を総合すると、被告灘萬は、昭和五三年六月、別紙三記載の退職金規定を制定したこと(ただし、退職金規定を制定したことについては当事者間に争いがない。)、右規定には、右規定前に退職した者の取扱い方について何ら規定していないことを認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定事実から明らかなように、右退職金規定は、庸介が死亡退職した昭和五一年三月四日より後に制定されたものであるから、右規定に右制定前に退職した者の取扱い方に関する特段の定めがない以上、庸介の退職に対し右規定を遡及して適用することはできないものというべきである。

5  請求原因二5について

(証拠略)を総合すると、次の事実を認めることができる。

被告灘萬は、昭和四九年六月、従来の本店所在地であった大阪市東区今橋五丁目一九番地所在の料亭灘萬を売却し、東京へ進出するに際し、同社を退職する従業員のみならず退職しない従業員に対しても、退職金として金員を支払ったが、それは、右売却によって生じた利益に対して課税される税金等に対する対策の一つとしてとられた措置でもある。それ故、右退職金の算定にあたっても、退職金規定などを制定して行うのではなく、三通りの支給乗率を設定し、そのうち予定総金額に一致する乗率を選択するというやり方で算定された。右退職金の支給を受けたのは、当時本店である料亭灘萬において営業の統括責任者としての地位にあった徳間松栄以下いわゆる現場従業員であった。ただ、勤続年数二年未満の従業員については、一部の者に対して支給しておらず、その選択の基準は明らかでない。庸介は、当時、被告灘萬の常務取締役の地位にあり、右退職金支給に関する企画等に関与し、これを推進したが、その他の取締役である楠本豊、楠本春江、楠本憲吉と共に右退職金の支給を受けなかった。

松井義実は、昭和二四年被告灘萬に入社し、以来経理業務を担当してきたものであるが、昭和四五年六月二八日、取締役に就任し、昭和四七年一一月一一日取締役在任中に死亡したものであるが、被告灘萬は、松井の遺族に対し、松井がかつて従業員であったことも考慮して、株主総会の決議を経たうえ、退職金として約金五〇〇万円を支払ったのである。

以上の事実を認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定事実と、本件全証拠を精査するも、原告ら主張のごとく被告灘萬において従来から退職した従業員に対しすべて退職金を支払っていたと認めるに足る証拠がないことを総合勘案すると、昭和四九年に従業員に支給した退職金は、本店を売却し、他へ進出するという特別な場合にその利益金の処分措置という目的もあって支払われたものであり、その支給要件も本来の退職金の支払との関係において、必ずしも確定したものとはいい難く、また、松井の死亡退職に際しても、結局被告灘萬の裁量により処理されているという外ないというべきであり、右の諸点からすると、被告灘萬においては、退職金の支払に関し、労働条件を規制する規範となりうる確立した慣行は存在しないものというべきである。

他に原告らの右主張を認めるに足る証拠はない。

6  そうすると、原告ら主張の被告灘萬に関する退職金規定及び慣行の存在はいずれも認められないので、これを根拠とする原告らの被告灘萬に対する退職金請求は、その余の点について判断するまでもなく失当といわなければならない。

三  被告灘萬商事に対する退職金請求について

1  被告灘萬商事に別紙二記載のような退職金規定が存在することは当事者間に争いがない。

2  そこで、右退職金規定が庸介に適用されるものであるかどうかについて検討する。

(証拠略)を総合すると、次の事実を認めることができる。

庸介は、大学卒業後大阪商船に勤務したが、その後同社を退職し、国税局に勤務していたところ、昭和三一年八月、国税局を退職した。そして、その頃、庸介は、被告灘萬から、国税局に勤務したことによる税務・法務関係の知識、経験及び税金申告時の便宜等を買われて、決算報告書類の作成、税務調査時の対応、経理担当従業員松井の作成する経理伝票のチェック又は指導などを行うことを依頼され、一週間に一日又は二日、或いは一か月に一日などの割合で被告灘萬に出勤し、右事務処理に従事した。しかし、出勤時刻などは他の従業員のごとく規制されず、事務室においても庸介専用の机は設置されていなかった。右のような職務内容及び勤務態様は、以後も変ることがなかった。

昭和三八年、被告灘萬商事(当時の商号大阪物産株式会社)の設立に際しては、発起人としてその設立事務及び新大ビルに開店した店舗「なだ万」の開店準備に従事したが、右設立時の昭和三八年一一月七日、被告灘萬商事の代表取締役に就任し、経理、経営事務に従事し、昭和三九年一一月七日、代表取締役退任後も右同様の職務に従事し、その後再び昭和四七年二月二七日取締役に就任し、死亡時まで常務取締役として右職務に従事したものである。そして、庸介の被告灘萬商事における勤務態様は、前記被告灘萬におけると同様に、毎日所定時間に出勤して業務に従事するというのではなく、適宜、庸介の判断に従って行なっていたものである。

他方、庸介は、被告灘萬商事に関与することとなった以後も、従前と同様に被告灘萬の前記事務処理に従事し、その間、昭和四五年六月二八日、取締役に就任し、昭和四八年頃から死亡時まで常務取締役として経理、経営事務に従事したが、とりわけ、前記のごとく昭和四九年六月、料亭灘萬を売却するに際しては、その売却方に尽力した。また、庸介は、昭和四三年頃、被告両会社の現代表者楠本春江の弟が代表者である元被告食品が手形事故を起した際、その影響が被告灘萬に及ぶことを恐れた当時の被告灘萬の代表者楠本豊(楠本春江の夫)の依頼を受けて、元被告食品の取締役に就任し、右手形事故の処理にあたっていた元被告食品代表者楠本修の相談に応じ、指導などしたものである。

庸介は、右のように被告両会社の事務処理に関与したことによって、被告両会社から金員(取締役就任時は役員報酬として)の支払を受けていたが、元被告食品の取締役に就任した際には、同社から報酬の支払を受けることがなかった。また、庸介は、被告両会社以外に、アメリカン商事株式会社、田中興業株式会社、有馬カントリー等から税務相談等による報酬の支払を継続して受けていた。さらに、庸介は、昭和三一年頃から昭和三九年頃まで、原告菅原昭子の父の経営する後谷商店の経理、税務申告事務に従事し、同商店から報酬を受け、また、昭和四〇年一一月三〇日設立した三精食品株式会社において、昭和四二年五月二三日代表取締役に就任し、死亡に至るまでその地位にあった。

以上の事実を認めることができ、(人証略)のうち右認定に反する部分は前掲各証拠に照らしてにわかに措信し難く、(証拠略)の「給料」との記載は、被告灘萬商事において取締役に対する報酬の支払について、他の従業員と特段区別することなく、同様の用紙を用いて支給していたことが窺われる(〈証拠略〉)ことからすると、同号証の右記載をもって右認定を左右するものとはいい難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

ところで、被告灘萬商事の退職金規定一条二号によると、従業員が死亡により退職するとき退職手当を支給する旨規定しているところ、右規定にいう「従業員」の範囲について考察するに、右退職金規定が就業規則四五条の規定を受けて定められているところからすると、まず、右就業規則の解釈に従ってこれを理解するのが相当である。

そこで、被告灘萬商事の就業規則(〈証拠略〉)をみてみると、従業員の定義として、三条は、「この規則で従業員とは第28条に定めるところにより採用された会社の業務に従事する者をいう。」と規定し、二八条は、「会社は就職を希望する者の中より選考試験に合格した者を従業員として採用する。但し、義務教育終了以上の者とする。」と規定している。そして、右従業員は、通常の場合右就業規則に規定された「第二章 勤務」「第三章 服務規律」以下の規定の適用を受け、これに従って業務に従事しなければならないものであり、右「勤務」の規定によると、従業員の就業時間は各勤務場所毎に始業・終業・休憩時間を区切って明確に定められ、休日についても特別の日をもって、また、休暇についても年間の日数を限って認める旨それぞれ規定されているのであり、賃金についても賃金規定に従って賃金の支払を受ける旨定めているのである(一条、四条、五条、一四条、四〇条など)。

右就業規則の規定を総合すると、被告灘萬商事の退職金規定において予定している「従業員」とは、被告灘萬商事に所定の手続を経て(ただし、この点は本件においては事柄の性質上重視すべきではない。)入社し、同社の就業規則に定める勤務時間、休日、服務規律等の規定に従って、所定の各勤務場所においてその業務に従事し、その対価として賃金を得ている者であるということができるところ、前記認定事実によると、庸介は、被告灘萬商事に毎日所定時間に出勤して業務に従事するというのではなく、いわば、勤務日、勤務時間などを特に定めることも、右就業規則に拘束されることもなしに事務処理を行なっていたのであり、その職務としては、代表取締役、取締役の地位にあるときも、また、その地位にないときも一貫して経理、経営に関する事務を管理・監督的立場で処理していたということができ、さらに、庸介は、被告灘萬商事の職務のみに専念従事するのではなく、同社以外にも被告灘萬をはじめとして数社の経営又は税務相談等に関与し、その報酬を得ていたものということができる。右の諸点を考慮すると、庸介の被告灘萬商事における地位は、右退職金規定において予定する従業員には当らないことが明らかであり、また、右従業員に準じて右退職金規定の効力を及ぼすべき場合にも当らないというべきである。

よって、庸介は、被告灘萬商事の退職金規定の適用を受け得ないから、原告らの同被告に対する退職金請求は、その余の点について判断するまでもなく失当といわなければならない。

第二  原告らの被告灘萬に対する保険金請求について

一  請求原因四1、2については当事者間に争いがない。

二  すすんで、被告灘萬が庸介の死亡によって、日本生命から支払を受けた保険金五〇〇万円を原告らに支払う旨約したかどうかについて検討する。

右当事者間に争いのない事実と(証拠略)を総合すると、被告灘萬は、昭和五〇年一一月二八日、日本生命との間に、庸介及びその他の従業員一五名を被保険者とし、保険金額を金五〇〇万円とする団体定期保険契約を締結したが、右保険契約を締結した目的は、社員の福利厚生を主眼としたものであり、将来右保険契約を切り換えて被保険者が退職後に年金の支給を受け得る団体保険年金としていくとの意図をもってなされたものである。原告菅原昭子は、庸介の死亡後、被告灘萬から保険金がおりるようになったから、これを原告らに支払う故、書類をそろえて提出するようにとの連絡を受け、同原告は、その旨了解して庸介の死亡診断書、戸籍謄本を取りそろえて被告灘萬に提出した。

以上の事実を認めることができ、(人証略)のうち右認定に反する部分はにわかに措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。なお、(人証略)は、保険金の使途については幹部会で検討、決定する旨証言しながら、他方庸介の死亡による保険金については右検討、決定がなされたかどうか記憶がない旨証言しているところからすると、右幹部会において使途を検討、決定する旨の証言自体措信し難いものというべきである。

右認定事実によると、被告灘萬は、庸介の死亡が保険契約締結後間もないことであったため、当初予定した退職後に年金によって保険金を支払うとの意図がはずれた結果となったものの、右保険金を庸介の遺族である原告らに支払うこととし、その旨原告らの同意を得たうえ必要書類の提出を受け、もって、原告らとの間で右保険金を原告らに支払うとの合意が成立したものと認めるのが相当である。

よって、被告灘萬は原告らに対し、右保険金五〇〇万円(各一六六万六六六六円)を支払うべき義務を負うものというべきである。

三  次に、被告灘萬の抗弁について検討する。

被告灘萬が昭和五〇年四月期決算において、重加算税として金九三四万九八〇〇円を賦課徴収されたことは、(証拠略)によりこれを認めることができる。しかしながら、被告灘萬における経理の最高責任者が庸介であったということのみをもって、右のような結果の発生をその職務怠慢によるものと即断することはできず、他に庸介の職務怠慢又は故意、過失によって右のような損害を生ぜしめたことを認めるに足る証拠はない。

よって、被告灘萬の抗弁は、その余の点につき判断するまでもなく失当といわなければならない。

第三  原告らの被告灘萬商事に対する株主権確認請求について

請求原因五の事実を立証すべき証拠として、(証拠略)が存在するが、右証拠をもってはたして庸介が被告灘萬商事(旧商号大阪物産株式会社)の株式を真実引受け、株金を払込んだと認め得るかどうかであるが、庸介は、被告灘萬商事の設立手続等に携った者であることは前記認定のとおりであること並びに被告灘萬商事設立に関する一件書類(〈証拠略〉)及び被告両会社のその他の税務、法務関係書類が庸介の手許に持帰られていること(原告菅原昭子本人尋問の結果、弁論の全趣旨)からすると、庸介は現実に株式を引受け、株金を払込んだかどうかに拘らず(証拠略)等を所持し得る地位にあったものということができること、現に、庸介が楠本豊と同数の株数(三〇〇株)を所持していたとしたならば、被告灘萬商事設立時に楠本豊と共に代表取締役となりながら一期のみで退任していることが容易に理解し難いこと(〈証拠略〉)、被告灘萬商事設立時に株主となった徳間松栄はこれを名義株である旨認め(〈証拠略〉)、元被告食品代表者楠本修は、被告灘萬の株式を含め被告灘萬商事の株式はすべて楠本豊のものであり、それ以外の者については名義株にすぎない旨供述していること、庸介の妻である原告菅原昭子が菅原右子名義をもって被告灘萬商事の株式一〇〇株を申込、株金を払込んでいることを示す書類があるにもかかわらず、原告菅原昭子は右権利を主張していないことが窺われること(〈証拠略〉)、庸介は、かつて、元被告食品の株式を有さないのに、元被告食品の手形事故を有利に解決するための一手段として、庸介が株式を有するものとして取扱うことを提案し、そのように取扱ったことがあること(〈証拠略〉)、以上の諸点を総合すると、庸介が株金を払込んで取得したと主張される株式は、楠本豊の名義株ではないかとの疑問を払拭し得ず、よって、前掲各証拠をもってしても、未だ原告らの右主張を認めることができないのである。

他に右主張を認めるに足る証拠はない。

第四  以上の次第で、原告らの被告灘萬に対する本訴請求は、保険金各金一六六万六六六六円の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当であるから棄却することとし、原告らの被告灘萬商事に対する本訴請求は、すべて失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松山恒昭)

(別紙一)

(支給対象者)

第一条 勤続満一カ年以上の者が退職する時は、本人又はその遺族に退職金を支給する。(以下、省略)

(会社都合、停年、死亡、傷病の退職金)

第二条 退職事由が、会社の都合、停年、死亡、傷病の場合の退職金は退職時の本給に別表1、2に定める支給率を乗じた額とする。

第三条ないし第六条(省略)

別表1 退職金基準支給率表

〈省略〉

別表2 勤続年数別加算

〈省略〉

(別紙二)

就業規則45条による灘萬商事株式会社の従業員に対する退職手当については別段の定めあるもののほか総てこの規定によるものとする。

第1条 従業員が退職するときは次の各号の1に該当するものに退職手当を支給する。

1 自己都合により退職するとき

2 死亡、停年または雇用期間満了により退職するとき

(以下、省略)

第2条 (省略)

第3条 退職手当は退職時の本給月額に勤務年数を乗じ及び次の表による率を乗じた額とする。

〈省略〉

第4条 (省略)

第5条 勤務年数の計算は採用入社の日より退職の日までとする。

第6条 勤務年数に1年未満の端数があるときは月割を以って計算し1ケ月未満は切捨てる。

第7条ないし第11条及び附則(省略)

(別紙三)

従業員の退職金は、この規定の定めるところにより支給する。

第1条 (受給資格)

退職金を支給されるものは、次の条件とする。

1 勤続3年以上であること。

2 届出は原則として30日前とする。

3 懲戒解雇を受けていないこと。

第2条及び第3条(省略)

第4条 (退職金の支給額)

退職金は退職事由および勤続年数別に、退職時の基準内賃金の日給額(基準内賃金の25分の1)に、一定数を乗じて算出する。

1 業務上の事由による退職

1 停年により退職したとき。

2 在職中に死亡したとき。

3 (省略)

以上については、別表の第1表により支給する。

2 (省略)

第1表

〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例